宗教二世や教会二世の心理的な症状は、どのようなものでしょうか。
必ずしも病理と呼べるものばかりではありません。確定診断が出ないレベルであっても、生きづらさの原因になっている問題もあります。それが原因だと気づいていないこともあります。一見信心深い生き方をしているようにも見えますが、心理的にはメンタルダウンへのカウントダウンである場合もあります。
パターン1 従順なよい子を演じる
基本的によい子です。宗教は基本的に「良い」人になることを促します。幼少期、人格形成期からその影響を受けて育った子たちは、「良い子」を目ざす以外の選択肢はありません。
◆日々のディボーションを欠かさない男子高校生
団体の青年部を担当していた時期がありました。青年たちの交流の場での一コマです。
それぞれ自己紹介と近況報告をしました。
キリスト教の環境で人格形成をしたある高校生の男の子が、「自分はディボーションをほぼクリアしています」という言い方をしました(注・ディボーションとは、基本教典である聖書を読み、祈りを献げる宗教行為のことで、毎日行うことが励行されています)。応援したい気持ちと、それに加えてどこか漠とした違和感を覚えました。
あえて悪い子を目ざす人もいますが、幼い頃からワルを目ざすことはありません。思春期に自我が芽生え、親や団体の権威に反抗する意味で斜に構えているような子はいます。このような子たちは、逆に、脈ありです。自分の人生を自分の足で生きようとします。
反抗期は永遠に続くものではありません。反抗し終えれば収まります。反抗するのは、親が自分を受け入れてくれているかを確認するためなので、自分が反抗しても受け入れてくれることがわかれば、特段の事情でもないかぎり収まります。
ところが、ここが微妙なところで、反抗が収まったときに、親や団体の権威に服してしまう場合があります。「やはり、親や団体が言っていることは正しかったのだ」と。
そうすると、今まで以上に、親の権威に服し、団体の勢力拡大のために一肌脱いだりします。専門職を目ざすケースもあります。
親や団体はそれを見て、こう思うでしょう。
「やはり、自分たちが考え、伝えて来たことは、正しかった。ようやくあいつもそれがわかったのだろう」
実際に、これで人生を生きることができる人もいるでしょう。大切なのは、心理的立ち位置です。反抗期は親と異なる価値観を作ることがゴールなので、反抗期が終わった時点で、親と同じ価値観に生きていたら、反抗期の意味はありません。
若い頃に良い子を生きると、親との関わりが未消化のままになります。未消化のものは、人生のどこかで出てきます。
20代から40代くらいまではそれでなんとかなりますが、自分の人生を振り返ることになる50代やアラ還になると、果たしてこれで良かったのだろうかと考え始めます。
そこで、自分はやはり親の価値観の中から抜け出せていなかったことに気づいたら、その葛藤は若い頃と違って、さらに深いものになります。
カウンセリングルームを運営しています。クライエントは、おそらく半分以上が50代以降の方々です。子どものことや夫婦のことで行き詰まり、人生の棚卸しをする方もおられます。
親との関わりが未消化だったことに原因がある方は少なくありません。親に愛されなかった。本当は愛してほしかった。ありのままの自分を認めてほしかった。受け入れてほしかった。でも、そのようにはしてくれなかった。このような証言です。
このような立ち止まりは、それ以降の人生を意味あるものにすることができます。このような言い方をします。
「50からアラ還によい振り返りができると、その後の15年を有意義に生きることができる」
続く


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